Des souvenirs du Cambodge カンボジアの想い出 – その2

Des souvenirs du Cambodge カンボジアの想い出 – その2

その2

シェムレアップ滞在中、郊外にある鬼太郎の棲みかのような高床式ツリーハウスでのプライベートディナーに恵まれた。クメール料理と呼ばれるカンボジアの料理は、スパイスの量や甘味、酸味が控え目で、私たち日本人の味覚にとても合う。この時の料理も素朴でやさしい味がして大満足!!!この世と思えないほどのどかな日の入りと、そのあとに訪れた満天の星空に心の底から癒される思いがした。この穏やかで遺跡の彫像のような微笑みにあふれたカンボジアがなぜ悲惨な内戦を経験したのか、目の前にしている光景との間のギャップに戸惑い、給仕の男性にそのことを思わず尋ねてしまった。すると、かれは静かに内戦と彼の家族について語りはじめた。

カンボジアはメコンの恵み豊かな国。農業、漁業そして水運を利用した交易の中心だったので、歴史上隣国からの侵略が絶えなかった。この内戦も、クーデターを契機に隣国の思惑によって様々な勢力が争う構図になった。特に中国の影響を受けたクメールルージュが支配した時期は酷かった。医者や教師、学者など知識人は反対勢力になり得るとして皆捕らえられ、目をくりぬかれたり舌を抜かれたりして惨殺された。彼の父親も教師だったが、命からがら熱帯雨林の中の貧しい村に逃れた。食うや食わずの生活の中、彼の母親は幼い彼を残して亡くなった。その後、ベトナムを後ろ盾とする勢力がクメールルージュに対抗したが、この時もろくな武器もなく前線を行かされるのはカンボジア民兵、そのあと安全になってからベトナム兵が進軍してくる。だから、銃弾に当たるのも地雷を踏むのも必ずカンボジア人だったとのこと、彼の兄もこの戦いで命を失った。

今は平和になったけれど、街には手足を失ったカンボジア人をあちらこちらで見かける。カンボジア内戦の悲惨さについてはテレビ映像などで見る機会があるが、目の前にいる人物の体験を、その口から生々しく聞くのはむしろ圧倒的なリアル感がある。もの静かで丁寧な語り口は、悲しみが涙の限度を超えた結果であろう。あまりにも個人的な話を一観光客に語ってくれたことに心が震え、カンボジア旅行の忘れえぬ思い出となった。



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